日時 | 1982年4月25日 | 日程 | 日帰り |
人数 | 単独 | 天候 | 曇り |
費用 | 約¥1,140 | 明細 | 交通費のみ |
概要
女子と子供がすごく多い。山頂は下界と違って濃いガスに包まれていた。ヤマブキが綺麗だったヨ!
現在から1980年代を振り返る
当時の記録は歩きながら書いていた部分もあります。不適切な表現、漢字や地名違いもありますが、なるべくそのまま転載しています。
いつものトレーニング登山のようです。特に感想は書かれていません。
この4週間後に転職予定なのに、のんびり山登りしていたようです。転職は、もっと早い時期を考えていたのですが、事情により簡単に辞められずず、ズルズルとのびていました。結果、ボーナス直前と言う最悪のタイミングで転職することとなります。
転職先は米国から担当が来ていたため、前日までX社で仕事し、翌日にはY社で仕事と言うハードなスケジュールでした。電話が来ると、ついX社ですと言いそうになり困ったのを憶えています。元の会社も文献は英文でしたが、転職先は初日から外国からの人とペアで仕事と言うハードなものでした。英会話は厳しかったですが、技術的には問題がないため比較的簡単に仕事へは慣れました。その後も、仕事ではいろいろ面白いことが起きましたが、これは仕事の想い出としてまとめたいです。40年前のシリコンバレーの様子、現在と違いビザが必要だったこと、携帯もスマホも無い時代に、初めての米国を運転免許なしで過ごしたこと、のちに免許を取り交通違反したこと、バッテリー上げたこと、ガス欠したこと、救急車へ乗ったこと、、、などなど珍しい体験をしました。