日光 戦場ヶ原

日時 1981年10月3日~4日 日程 一泊二日
人数 2名 天候 快晴
費用 約¥7,000 明細 内 約 2,000円はお土産代

初日


東武日光駅の軒下に泊まらせてもらうことにした。山に雪が積んでいるが、あまり寒くない。月齢6くらいで星がすごく良く見える。シュラフにくるまって上を見ると、満天の星。そこで一筋の流れ星、まるで小説の一場面みたいだ!僕はなんて幸せなんだろう、なんちゃって!(車がうるさくて、なかなか眠れなかった。)

二日目






東照宮は、人人人人人人人の海だった。修学旅行、団体旅行客が多い。お守りを買わせたがるし、見るものは本で読んだものより○○だった!もっと人のいない時にジックリ見てみたい!
参拝券など

現在から1980年代を振り返る

当時の記録は歩きながら書いていた部分もあります。不適切な表現、漢字や地名違いもありますが、なるべくそのまま転載しています。

若気の至りか、東照宮の良さを分かっていなかったようで、不満が書かれています。現在の自分とは、かなり違った感想です。まだ若く、運動の方に興味があり、歴史などに関する興味が薄かったのでしょう。混んでいたような記載もありますが、現在の日光を経験したら、どんな感想になったか興味があります。当時の混雑程度は現在と比べると、格段に空いていたのではないかと想像します。
当時の記録を忠実に転載しているため、稚拙な表現や文章、そして不適切な部分も多いです。

フィルム

日光の写真はリバーサルフィルム(ポジ)を使っていますので、今でも色鮮やかに写真が残っていました。コダクロームかエクタクローム使っていたと思います。リバーサルフィルムはコダックを中心に利用していましたが、のちに国産フィルム会社(富士フィルム?)から発売され、そちらを使った記憶もあります。ただ、記憶は曖昧です。確かコダック社のISO感度が低かったので、ISO感度の高い国産フィルム会社ものを使った記憶があります。なお、当時はISOを使わずASAを感度の指標として使った記憶があります。基本的にはコダック社の発色が好みでしたので、コダック社のフィルムを中心に使ったと思います。

戦場ヶ原など

当時の記憶はほとんどないです。駅舎や道路で寝た記憶は多くあり、どれが何処の記憶か定かではないです。バスの車庫などに冬に寝るとコンクリートが冷たくて、なかなか眠れなった記憶があります。当時は平和な時代だったので、道路などで寝たことも少なくありませんでしたが、注意されたことは一回もありません。戦場ヶ原は写真などでは綺麗に見えますが、蚊(アブやブユか?)が舞っていた記憶があります。

星明りや月夜

文面から星を眺めていたようです。夜中に星を見たことのある人ならご存じだと思いますが、案外、流れ星は簡単に観察できます。月が明るくない夜に、地面に寝て空を眺めるのは悪くないです。天の川の明るさには驚くでしょう。星明りという言葉の意味が分かるでしょうし、日頃の悩みなんてちっぽけななものなんだと気づきます。と言いながら、翌日になり仕事に行くと、つまらない愚痴がこぼれるので、自身が凡人であることと、自身の性相(さが)を思い知らされます。
星明りに対し、月夜も夜中に散歩すると気づきます。本当に自身の影ができ、これが夜なのだろうかと思うくらい明るいです。満月の夜は昼かと疑うくらいです。
星明りや月夜を満喫するには都会を出る必要があるかも分かりません。私も星を眺める機会は減り、月夜を満喫することも無くなりました。田舎の実家は廃屋になり、もう帰ることもできません。幼いころ、外に出て空を眺め、慣れているハズの夜空に息を飲んだことが何回もあります。もう、遠い昔の話です。私の小さなころは大勢の子供たちが道を走り回っていました。現在は家も減り、人も減り、帰省したときに村の道を歩いても、誰一人とも会わないことが大半です。子供たちが大勢遊んでいた海へ出ても、誰一人とも会わないいです。