日時 | 1980年9月14~15日 | 日程 | 1泊 |
人数 | 3名 | 天候 | 快晴 |
費用 | 約¥8,400 | 明細 | 旅費4,900 小屋2,500、他 |
天気はすごく良い。本当は天狗岳、硫黄岳へ登る予定であったが、特急に乗れなかったため南八へ予定変更。
小屋は寒かった。朝起きてみると霜が降りていた!
コース 手書き
相変わらず天気は最高。権現からは日本中の山が見えた。
ギボシと権現岳(青年小屋から)、編笠山(ギボシから)
ギボシ、阿弥陀岳と赤岳
権現岳
x タクシー代 600円(小淵沢-観音平)
x カツ丼 700円
x ジュース 300円
特別補充券(特急券) JR
いこいの村八ヶ岳・パンフ
現在から1980年代を振り返る
当時の記録は歩きながら書いていた部分もあります。不適切な表現、漢字や地名違いもありますが、なるべくそのまま転載しています。
記録から特急に乗り遅れるという、詰まらない理由でコース変更したことが分かります。寒い時期でもなく難しい山でもなかったので急遽変更したのでしょう。下調べしなかったせいなのか、編笠山へ登るとき、ほとんどの登山者と逆行しているのに気づいています。途中で下ってきた登山者から、逆方向はきついでしょうと言われ、一般的には赤岳あたりから下る人が多いと分かりました。また、観音平から編笠山を直登し青年小屋へ向かいましたが、別の登山者から、巻き道が楽なのにとも言われました。巻こうかとも思いましたが、それほどきついコースでもないので、そのまま まっすぐ登った記憶があります。
小屋が寒かったと書いてありますが、そのような記憶はありません。のちに、正月などの冬山でとても寒い思いをしたので、そっちで上書きされたのかも分かりません。冬の山小屋では、小屋の中にいるにも関わらず水筒の水さえ凍りました。
渓谷オンラインの歩程が少ないのは、天女山から甲斐小泉駅までが含まれていないためと思われます。平坦ですが、天女山から甲斐小泉駅までは、それなりの距離を歩いたはずです。楽だったのでここの記憶はありません。しかし、駅に近づいたときに、列車が迫っており、駅員さんが少し列車を止めてくれたのを憶えています。時刻表通りにならないのに列車を停めて待ってくれるなんてノンビリした時代でした。
そうはいえ、同乗者からは顰蹙を買っていた感じでした。当時は清里が人気の観光地化していましたので、若い女性が多数乗車していました。山から下りてきた臭い男たちが、列車を遅らせながら乗り込んできたのは気に入らなかったのではないかと思います。明らかに嫌悪の顔を向けている女性もいました。当時はごめんなさいね、20代前後だったあなたたちも、もう孫がいる年齢になったでしょう。
小海線は時々利用しました。特に小淵沢駅、甲斐小泉駅、甲斐大泉駅、野辺山駅は何回も使いました。初夏の小海線は気持ちよかったです。今でも八ヶ岳山麓には良い思い出しかありません。登山に行かなくなったあとも、テニスやスキーなどでも良く利用しました。