日時 | 1981年12月29日~1982年1月1日 | 日程 | 3泊3日 |
人数 | 2名 | 天候 | 晴れ、曇り、風雪、快晴 |
費用 | 約¥10,270 | 明細 | 国鉄 1,600x2、小屋 2,000x2、マイクロバス 2,260 他 |
概要
2日目(12/30)
疲れた!荷物が重くてバテてしまった!
3日目(12/31)
軽装で薬師岳へ向けて出発。富士山が良く見えるが山頂付近に笠雲がかかり悪天が予想される。薬師へ登り、写真撮影。このころより北岳がガスって見えにくくなる。観音岳へ登ったころは、まだ天候はクズれす、地蔵岳へ行こうと思うが安全を考えて引き返す。このあたりよりかなりガスってきて、北岳はほとんど見えない。薬師へ着いたころは本格的な風雪となり、風の方向を向いては歩けない。
樹林帯へ入るとさすがに静かだ。南御室小屋には11:30頃着く。さっそく昼飯を作り、たらふくたべる。15:00頃は夕食の準備。今度はデザートのプリンを作り、固めるため外に置く。夕食もたらふく食った。本当に昨日の分をとりかえした!プリンはうまかったが表面がこおってた。ここでSSKという冒険クラブの人と知り合いになり面白かった!小屋へ戻り、焼ちゅうを飲み、第九を聞いてから、ドラム缶ダンロのわきでみんなでしゃべりした。今日は12月31日ですよ。ランプだけの小屋は本当に気分のいいもんだ。
4日目(1/1)
しぶるXを起こして5:40頃出発。山火事のあとで初日の出を見た雲海がとてもきれい。スバラシイ初日の出だった。夜叉神峠でゼンザイを作った。ミカンが凍っていてザクザクとうまかった。水筒の水も凍っていた。
感想
雪は少ない。少ないと言っても冬山の準備は必要ですョ!南御室小屋の直後から多少ある程度でピッケルは一回も使用しなかった。
結構、若くて○○○な女性が多い!特に夜叉神峠で下るときに会った女性三人組は連れの〇人は〇まるだった!でも、初心者らしく、少し危なそうだった。「登りですか?」と一緒に登りたそうな感じだったが、残念ながら下山中でした。
コース 手書き
現在から1980年代を振り返る
当時の記録は歩きながら書いていた部分もあります。不適切な表現、漢字や地名違いもありますが、なるべくそのまま転載しています。
初日の出の眺めを兼ねた、のんびり山行きのようです。一日の行動時間や距離をみても、ゆったりした計画に見えます。ただ食料をたくさん持って行ったようで、荷物が重く登りでバテたと記載されています。
夜叉神峠への登山口にマイクロバスで着くと、消防と警察の方々が待ち構えており、登山ルートや登山経験を聞き取りされました。経験の浅い人が難しい山を登ろうと計画していると止められていたように記憶しています。我々は、簡単な鳳凰三山であることと、少しの冬山経験、そして冬以外に鳳凰三山を経験していたため特に注意は受けませんでした。ただ、正月に冬山に入るときは会社への届けが必要でした。正月が明け出社すると、会社から出社確認の電話が職場へ来たのを記憶しています。
南御室小屋ですがこの時期は無人だったような気もします。ただ、記憶が曖昧でハッキリ憶えていません。小屋代を払っているので常駐していたのかなぁ、小屋の主人と会った記憶はないです。
年末に第九を聴くのが流行った時期を憶えていませんが、この時も山小屋で聴いたような記載があります(たぶんAMラジオで聴いたと思われます)。
食料をたくさん抱えて行ったようで、いっぱい食べてる様子が伺えます。
薬師岳の頂上付近と記憶しますが、同行者がアイゼンの爪を別足の紐に引っ掛けて転倒しました。アイゼン初心者あるあるです。完全な初心者ではありませんでしたが、平地だったので油断し漫然と歩いていたのでしょう。危険な場所では、そのようなことはなかったですが、ちょっとした気のゆるみは危険です。
帰りの夜叉神峠で三人連れの〇〇な女性登山者に会ったようです。初心者らしく、一緒に登ってほしそうだったのを憶えています。残念ながら我々は下山中でした。すぐ隣に単独行の初心登山者がいました。どう見ても能力以上の荷物を背負っており、顔が真っ赤に上気してへたり込んでいます。夜叉神峠は登りの最初であり、南御室小屋までは相当の距離があります。どう見ても無理そうな感じがします。下山を勧めましたが止める様子はありませんでした。そのまま我々は下山を続けましたが、あの時の彼は無事に登って、そして帰れただろうか。
基本的に、初日の出も良く見え、全般的に天候もまずまずで満足した山行きでした。