日時 | 1981年6月5日~7日 | 日程 | 2泊3日 |
人数 | 4名 | 天候 | 晴れ、曇り時々晴れ |
費用 | 約¥13,000 | 明細 | 下記に記載 |
概要
夜行を利用したためにバテバテだった。休んでいると自然に眠ってしまう。山頂では皆いびきをかいて寝てしまった。
小屋の人に聞くと、県堺尾根は雪が多く、まだ無理とのこと。仕方なく食事をとり泊ることとする。
翌日はガスが濃く風が強いため引き返すことにする。文三郎、地蔵、両方ともに取り付き付近に雪があるとのことであった。
雪がかなり残っており、山はまだ冬のようであった。12時頃でも、自分の息が白く見えた。
x 行き 急行 1,110円 乗車券 2,400円
x 帰り 急行 1,800円 乗車券 1,900円
x タクシー 640円 x 2
x 小屋 2,700円
x ビール他 2,000円
計画 手書き
現在から1980年代を振り返る
当時の記録は歩きながら書いていた部分もあります。不適切な表現、漢字や地名違いもありますが、なるべくそのまま転載しています。
美濃戸口から入山し、硫黄岳、横岳、赤岳を経由し、県堺尾根から清里あたりに下る計画だったと思います。硫黄岳石室で、たぶん小屋の主人(詳細不明)にルートの様子を聞いたのだと思います。県堺尾根は雪が多く時期的に早すぎることを指摘されたのでしょう。また完全に夏山の装備で来ているため、取り付きに雪が付いていることを教えてもらったようです。皆で相談したのでしょうが、危険と考え登山を中止し、そのまま硫黄岳石室に泊まり、翌日は登ってきたルートを引き返したようです。
ゴールデンウイークまでは、ほぼ冬山装備が必要です。しかし、6月に入っているので大丈夫かと思ったようですが、まだ冬が残っていたようです。夜行を使ったため寝不足もあり賢明な判断だった感じです。行動記録から分かるように登りは12:00に終了し、下山も美濃戸口へ着いたのも12:00ですので、ずいぶんゆとりをもって行動した様子が伺えます。コースは安全になりましたが、歩程はほぼ変わらなかったようです。